あじさいの原点(完全版)
ー はじめに ー
これは、あじさい訪問看護ステーションの管理者が、
家族として経験した出来事です。
在宅で大切な人を支える時間には、
安心だけでなく、
突然大きな不安が
訪れることがあります。
その不安を、
私自身が知った出来事を
ひとつの物語としてまとめました。
ー 管理者が体験したひとつの物語 ー
夜、自宅で父が吐血しました。
突然のことでした。
家には、私ひとり。
どうしたらいいのか分からず、
頭が真っ白になりました。
父はそれまでの療養でも
「家に帰りたい」と言い続けていました。
その父が、目の前で血を吐いている。
怖い。
どうしたらいいのか分からない。
ただ、それだけでした。
救急車を呼ばなければいけない。
そう思っても、
番号が出てこない。
手が震えて、
何からすればいいのかも分かりませんでした。
とっさに診察券を探し、
かかりつけの病院に電話をかけました。
電話口で、看護師さんが言いました。
「娘さん、落ち着いてください」
その一言で、
張りつめていたものが、少しだけほどけました。
「横に向けてください」
「お話はできますか」
「お話はできますか」
「どれくらい吐いていますか」
落ち着いた声で、
ひとつひとつ、ゆっくりと。
私は、その言葉に導かれるように動いていました。
さっきまで何もできなかったのに、
気づけば体が動いていました。
「119を呼んでください」
その言葉で、
やっと次に何をすればいいのかが分かりました。
怖かったです。
本当に、怖かった。
父がこのまま死んでしまうのではないかと。
救急車に乗り、病院へ向かい、
冷え切った待合の廊下で
冷え切った待合の廊下で
私は一人、泣いていました。
家で病人を看る不安を、
私はこのとき初めて知りました。
父の最期は、病院でした。
2011年の年明け。
私はなんとなく、
「もう家には帰ってこれない」と感じていました。
1月3日。
一時帰宅の家から病院へ向かう前、
車の中で父に言いました。
一時帰宅の家から病院へ向かう前、
車の中で父に言いました。
「迷惑だと思ったことはないよ」
「元気になって、また家に帰ってきてね」
ちゃんと伝えられたのかは、今でも分かりません。
でも、あのときの自分にできた精一杯でした。
1月30日、父は病院で旅立ちました。
後悔は、ありません。
本当に、ありません。
でも、思うことがあります。
もし、あのとき。
訪問看護という選択肢を知っていたら。
家で過ごすという道があると知っていたら。
父との時間は、
少し違ったものになっていたのかもしれない。
それは「後悔」とは少し違う、
静かに残る思いです。
当時の私は、
病院で看取ることが当たり前だと思っていました。
でも今は、
最期をどこで迎えるかも、
最期をどこで迎えるかも、
大切な選択のひとつだと感じています。
「知らない」ということは、
選べないということ。
あのときの私のように、
不安の中で、目の前の選択肢だけで
不安の中で、目の前の選択肢だけで
時間を過ごしている方がいるかもしれません。
もし、別の選択肢があると知ることができたら。
その時間は、少し変わるかもしれない。
私は、そう思っています。
看護師を目指したとき、
私は勉強が得意ではありませんでした。
それでも、
どうしてもなりたいと思いました。
不安の中にいる人のそばにいられる人になりたい。
あのときの自分のような家族を支えたい。
当時の私は、
医療センターの小児科で
バイトをしながら生活していました。
仕事が終わった後、
時間をつくって勉強しました。
できることを、
そのときできる形で、
少しずつ。
特別なことを
したわけではありません。
ただ、やめなかった。
それだけだったと思います。
そうして看護師になり、
今、訪問看護の現場にいます。
在宅での生活には、
安心できる時間もあれば、
突然、
不安に包まれる瞬間もあります。
そのときに、
「大丈夫ですよ」
「一緒に考えましょう」
そう言える存在がいるだけで、
人はまた
前に進めることがあります。
私は、あの夜の自分を思い出します。
どうしていいか分からず、
ただ不安の中にいた、あの夜の自分を。
だからこそ、
今、関わらせていただく方に対して、
こうありたいと思っています。
家族の不安を知っている看護師でいたい。
ー 結び ー
あじさい訪問看護ステーションは、
ご本人様、家族の不安に
寄り添える存在でありたいと考えています。
あのときの私のように、
不安の中にいる方のそばにいられるように。
この想いの背景にある
一つひとつのエピソードも、
一つひとつのエピソードも、
よろしければご覧ください。
例えば、こんな出来事がありました。
そのほかのエピソードも、
一つひとつ綴っています。